貧困が呼ぶのは「期待格差」ではないか。
どうも、僕です。
今回は、まず下記をご覧ください。
最近知った、とある「実験」のお話です。
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あるクラスの学生にそれぞれラットを5匹ずつとT字型の迷路を渡します。
T字の一方の腕は白、もう一方は灰色に塗ってあり、ラットは灰色に走って行ったら餌がもらえる、つまりラットを灰色側に走っていくように訓練をするのです。
学生には「ラットが上達したな」と思ったら客観的に記録してもらいます。
しかしこの実験の本当の対象はラットではなく、実は学生です。
ラットには迷路を解決できるように繁殖させた「優秀な種」と「そうでない種」があり、半数の学生には「君のラットは賢い種だ」と伝え、もう一方の学生には「そうでない種だ」とあらかじめ伝えました。
また学生には、ラットの扱い方に違いが出ると結果に影響するので注意するようにと警告までします。
お分かりの通り、実際にはそんな種はおらず、どのラットもランダムに選ばれた種です。
実験の結果、「賢い種」と思い込んでいる学生のラットの方ができが良く、
「そうでない種」と思い込んでいるラットの方が著しく出来が悪かったそうです。
そして学生の記録から「自分のラットが賢いと思っていた学生は、ラットをより優しく世話をしていた」ということが分かりました。
「取り扱いには違いないように」と注意していたにも関わらず。
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▼実験が示す無意識の非言語コミュニケーション
いかがですか?
これは無意識の非言語的コミュニケーションについての実験です。
実は、ラットを生徒に、そして学生を教師にして置き換えた実験事例もあります。
その場合はIQテストを使い、実際は平均的な成績の生徒だけど、
「今回はこの生徒はクラスの中で特に点数が良く、才能がある」と教師に伝えたとのこと。
結果はラットの場合と同じだったそうです。
「才能がある」と伝えられた生徒の80%は次のテストで10ポイント以上点数を上げ、
また20%は30ポイント以上点数を上げたというのです。
つまり、「才能がある」という教師のラベルが、生徒の成長を後押ししていたことが示されているのです。
大事なのは、教師自身が意識的に区別しようとしたわけではなく、
無意識のうちに起きた事実だということです。
▼子どもの貧困と「期待格差」
ここ最近、子どもの貧困についてメディアで多く取り上げられています。
「子供の貧困対策大綱」を閣議決定 親世代の学び直し推進 :日本経済新聞
低所得の家庭多い小中校に教員2千人増 文科省が方針:朝日新聞デジタル
「17歳以下の6人に1人は貧困に直面している」ことに対して、政府が方針を固めました。
僕が個人的に危機感を持っているのは、
経済的な格差が「期待格差」に繋がるのではないかということです。
青砥恭著の『ドキュメント高校中退 ーいま、貧困がうまれる場所』という本があります。
ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)
埼玉県の高校中退をテーマに、事例とデータを多く取り上げている良書だと思います。
この本の中に古い(1998年)データですが埼玉の高校生1200人にとった下記のようなアンケート調査があるので紹介します。
「(あなたは)親から期待されていると思いますか」という質問にいわゆる「進学校」の生徒たちと「底辺校」の生徒では正反対の回答がされたのである。進学校の生徒のうち、「期待されている」と答えた生徒は70%、逆に底辺校の生徒たちの60%が「期待されていない」と答えていた。
この結果に、私は「貧困は子どもへの期待や愛され方にまで格差をつくるのか」とショックを受けた。(中略)期待されていない、愛されていないと感じる子どもが一生懸命、勉強しようとか、何か頑張ろうとか、人生を前向きに考えようとするだろうか。(筆者抜粋)
底辺校には所得が低い世帯の子どもが多く通う傾向があります。
つまりこのデータは、家庭の所得格差によって「子どもが期待を感じられる格差=期待格差」がついているということを示しているのです。
そして冒頭の実験を前提とすれば、
その期待は関わる人が生徒に貼るラベルや、無意識の非言語コミュニケーションによって左右される可能性が大いにあるのです。
▼僕は先生と何を語るべきか。
仕事柄、先生と打ち合わせさせていただく際に指導上の課題や生徒のもったいない部分をヒアリングすることが多くあります。
しかし今回のことを考えた時に少し自分の姿勢を改めようと思いました。
確かに課題はたくさんあります。
だけどそれだけ見ていては、生徒に勝手にラベルを貼っている可能性もあります。
生徒のポジティブな可能性について、もっと先生と話したい。
あえて言葉にし、再認識することでコミュニケーションが変わることもあるんじゃないか。
そう思ったのです。
また非言語コミュニケーションは影響力が大きく重要ではあるが、
それさえできれば全てがうまくいくわけではないということは押さえておくべきでしょう。
能力があるかないかではなく、優秀かどうかではなく、
能力は誰にでもあり、優秀になれる可能性は誰だって持っており、
重要なのはその可能性を周囲の人が信じ抜けるかどうかなのではないでしょうか。
部下に、生徒に、子どもに、目の前の相手に。
みなさんは自分自身を振り返ってみて、どうですか?