新卒NPO職員のつぶやき。

学生時代に某塾からの内定を辞退し、教育系NPOに新卒入社。早4年目。日々駆け抜ける中での気づきを綴ります。

裁判傍聴で出会った「心の棘」

どうも、僕です。

知り合いが裁判傍聴に行くらしいと聞いたので、学生の時に行った傍聴の思い出話を書きたいと思います。

 

 

 

▼フラリと訪ねてしまった霞ヶ関

 

学生の頃、裁判傍聴に通っていた時期があった。

大学の先生に勧められたのと、ちょうど裁判員裁判が開始される時期で、

ちょっとした「傍聴ブーム」だった時期だ。

 

「何か話題になってるし行ってみるか~」なんて、誠にアホな思考回路をした当時の僕は、大学の友達数人と初めて霞ヶ関駅に降り立ち、東京地裁を訪れた。

 

 

▼初めての裁判傍聴

 

初めての裁判傍聴。

 

覚えている限りでざっくり公判概要をお伝えすると、

タクシーの運転手であるAさんがスピードの出しすぎで玉突き事故が起こり、同僚であるBさんが亡くなってしまった。

たしかそんな感じだったはずだ。

 

問われていた罪は「業務上過失致死傷罪」。

 

 

「亡くなる直前、今度Bさんと誕生日(結婚記念日だったかな?)を祝おうと話をしていたけど、まさかその日が葬式になるなんて。

 でも、Aさんのことも知っているし、責めきれない。」

 

そんなBさんの奥さんの証言内容が印象的だったことを覚えている。

すごく胸がモヤモヤして、悲しくなった。

何だか、見てはいけないものを見た気になった。

 

 

他に傍聴したのは、薬物関係の公判だったと思う。

それを見て、僕らは地裁をあとにした。

 

 

▼社会の「登場人物」

 

それから数日後、友達と向かった先は、大学の図書館だった。

 

 

タクシーの玉突き事故なら新聞に載ってるかもしれない。

そう思ったからだ。

 

 

 

メモした事件の日付の新聞各紙を集めて、片っ端から目を通す。

 

 

でも、ない。

載っていないのだ。

 

ない。こっちもない。

ない、ない、ない…。

 

 

 

 

 

…あった!!

 

 

 

ただし、

ほんの数行だった。

 

 

載っていたのは、地方面に事故の概要のみ。

 

 

結局、その大手紙の地方面と、もう一紙に数行、狭苦しそうに掲載されているだけだった。

 

そんな、もんなのか。

僕が感じたモヤモヤや割り切れなさに触れているものは、社会的には「これだけ」。

 

 

 

そりゃたしかに、有名人が事故を起こしたわけでもない。

沢山の人が亡くなったわけでもない。

 

でも、そんなもんなのかよ。

 

あそこで、誰かが悲しんでいる。苦しい思いをしている。

事故の登場人物は、確かに被害者と加害者だ。

 

でも、本当は「登場人物」なんていう風に括れなくて、

家族はいるし、友達はいるし、恋人はいるし、そんな風に繋がりの中で生きている。

 

 

なのに、それでいいのかよ。

割り切れない。

全然、割り切れないよ。

 

 

▼地裁通いで気づいたこと

 

その後、導かれるかのように僕は月イチ程度のペースで地裁に通った。

 

 

その中であることに気づいた。

 

 

「薬物の公判の割合って、異常に多くないか?」

 

 

これは実は初回の時も感じたことだった。

 

いつ行っても、薬物の公判は行われている。

それもかなりの数、毎日行われている。

 

 

ある公判で裁判長が被告人に向けて言った。

 

 

「薬物は再犯率が高いことが特徴。

  強い意思を持ったって、すぐに折れてしまう。

 その中で君はどうするんだ?」

 

その被告人は、初犯ではなかった。

幼少期から父親から虐待を受けていたという家庭環境が情状酌量の材料として挙げられたが、初犯ではないので執行猶予はつかず、実刑

 

判決文が読み上げられた時、傍聴席にいた被告人のお姉さんは嗚咽をもらしていた。

 

 

 

僕は家のPCで「覚醒剤 公判 年間」と検索した。

 

色んな資料に目を通すうちに「約20,000件」という数字を見つけた。

 

※当時、ネットで調べたものなので正確かどうかは不明。

 

 

霞ヶ関では毎日、薬物の公判が行われている。

霞ヶ関だけじゃない。

きっと全国の地裁でも。

更に言えば、公判にすら至っていない人もいる。

 

その周りには、きっと悲しんでいる人がいる。

 

社会的にはきっと「登場」しないけれど。

 

 

▼なるべき姿を、固める

 

この頃から、僕は新聞記者なろうと固く決めた。

それも社会部に入って、事件や事故を追いかける記者になろうと。

 

そんでもって、単に概要を書くだけじゃなくて、丁寧にその周辺にいる人達に取材をして、

悲しんでいる人や苦しんでいる人にちゃんと社会の目が当たるようにして、

まだ社会に眠っている同じような人たちが隣にいたら協力してくれる人を少しでも増やせないか。

 

そんなことを思っていた。

 

だから、裁判傍聴以外にも、北朝鮮拉致被害者家族会のシンポジウムへ参加したり、

 被爆者の方と実際に話すために広島に行ったり、いくつかのことをした。

 

 

結局、行きたかった新聞社には残念ながら不合格を頂戴し、新聞記者にはなれなかった。

そこから紆余曲折があって、今はNPO職員として日々を過ごしている。

が、まあ、その辺はまた別のお話。

 

 

 

▼心の棘

 

今思うと、僕はあそこでいわゆる「社会課題」というものに触れていたんだと思う。

 

頭では理解していたはず。

でも、心では全然実感が伴っていなかった。

日常の中で意識することもなかった。

 

だって、テレビも新聞も学校も、そんなことは教えてくれないじゃない。

 

 

だから僕は明るく笑っている周りの友人にイライラしていた。

 

なぜ、知らないのか。なぜ、知ろうとしないのか。

(今思うと、なんて迷惑なやつなんだ…。)

 

そんな心の中にある割り切れなさやもやもや、チクチクとする感覚にあの頃出会っていたんだと思う。

 

 

▼関心の輪、影響の輪

 

有名な「7つの習慣」の中で、「関心の輪・影響の輪」というものがある。

 

【詳しくはコチラがわかりやすいです】

http://www.recruit-ms.co.jp/service/seven-habits/column/0000000009.html

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fb-3e/happyhills1970/folder/1289728/16/42727616/img_0

これは主体性を表現するときに使う概念だけど、あえてこれに当てはめてみると、

今思うに、新聞記者を目指していた僕は「社会課題というトピックを、まずは多くの人の関心の輪に入れる」ということをしたかったのかな。

 

 

 

現在NPO職員という仕事をしながら、僕の輪の中には日々現場から沢山のトピックが入ってくる。

その中には、まだ名前さえついてない課題も沢山ある。

 

今、まずは僕自身がそのトピックたちを影響の輪の中に入れて、現場で何か力になれるように日々を過ごしている。

批判者や傍観者にならず、当事者として在ること。

 

あたたかくて、優しくて、やわらかなおせっかいを、誰しも隣にいる人にできるようになったら。

 

そうしたら、きっと社会は変わる。

 

そう、本気で思っている。