新卒NPO職員のつぶやき。

学生時代に某塾からの内定を辞退し、教育系NPOに新卒入社。早4年目。日々駆け抜ける中での気づきを綴ります。

「あの人と仕事の仕方が合わない…」そんなあなたの「ソーシャルスタイル」は何型?

どうも、僕です。
 
少し前になりますが先月末、NPOサポートセンター様の研修を受けてきました。
NPO・企業・行政を横断して成果を出すトライセクター人材育成がテーマで、僕はその中の「リーダーシップの理論と実践」を受けました。
 
今日はその中での学びの一つを書きたいと思います。
 
 
▼あなたの「ソーシャルスタイル」は何型?
 
研修ではいくつかのアセスメントを使い、グループワークをしながら自分のリーダーシップの働きかけの「癖」を考えました。
 
理論の一つで「ソーシャルスタイル」というものを学びました。
これはアセスメントを使いながら、ある特定の場面での自分のコミュニケーションの取り方や思考のタイプを4分類に当てはめてみるというものです。
 
一言で言えば、「仕事の取り組み方や思考の癖」を自覚するためのものです。
 
4分類は下記に分かれます。
 
【A】表出型
  夢やビジョンなど未来を語りたい。
  会議などでは自分の意見や思ったことをどんどん発信する。
 
【B】主導型
  意思決定をしっかりしたい、議論をリードしていく。
 
【C】分析型
  数字やデータを使い、現実的に状態を把握したい。
  自分が納得しないと先に進めない。
 
【D】友好型
  相手の出方を伺いながら、合意形成ではメンバーの納得感を大事にしたい。
 
 

f:id:ykym5296:20160222193541j:plain

 
 
また斜めに対面するスタイル同士は真反対のため、ぶつかることが多いそうです。
 
 
たしかにイメージできる!!!
 
 
表出型の人が大きな未来へのビジョンを語るけど、
分析型が「で、現実は?」みたいに差し込んでくるとかね。
 
ちなみに上記で言えば分析型は表出型の意見を否定してるわけでなく、「ビジョンが大事なのは俺もわかってる。だからそれを形づくるためにビジョンばかり語っていないで、現実的にどう進めていくか話そうよ…!」的な状態らしいです。笑
 
友好型と主導型も同じ。
 
「みんなの納得感が大事だ!」と一人ひとりの意見を聴く友好型。
「もうなんとなくみんなの意見は分かったから、いい加減結論出そうよー」と議論を先に進めたい主導型。
 
たしかに日々こんな場面、沢山ある〜。苦笑
 
 
▼ソーシャルスタイルの3つの重要ポイント
 
さて、ここで重要な3つのポイントがあります。
 
 
①場面によってスタイルは変わる可能性がある。
②肝心な時に「スタイル・フレックス」。
③名ばかり「ダイバーシティ」から卒業する。
 
です。
 
①場面によってスタイルは変わる
 
・仕事の場面、家族と接する場面では違う可能性がある。
 
・ソーシャルスタイルは「その人」を表すものではなく、「ある一定の場面での、その人のコミュニケーションスタイル」を表すものである。
つまり一側面にしか過ぎない。
 
・当然だが、自分の弱みの部分を補完してくれているという側面でもある。
 
・「仕事で馬が合わない」となると、その人の人格自体も嫌になってしまうこともある中で、上記の考えに両者の理解があると少し客観的に向き合えるようになるのでは?
 
 
②肝心な時にスタイルフレックスになれるか
 
・チームに全タイプがいるのが理想だが、そううまくいかないこともある。
その中でメンバーのタイプや目的、状況に応じてスタイルフレックス(自分のスタイルを柔軟に変えてコミュニケーションを取ること)になれるか。
 
・例えば研修でグループワークをした時のことです。
15分ほどのワークでいくつかの課題に取り組むのですが、皆それぞれに意見を話していく中で、だけど次の課題に中々進みません。
 
時間が経つに連れて気付きました。
「なんとなく合意形成できてるけど、誰もそのことを口にしない」から次に進まないのです。
途中から友好型の僕はファシリテートしながら、「じゃあこの課題の回答は◯◯で良いですか?次に行きましょう」というアナウンスを入れ始めました。
 
そう、僕のグループの中には主導型がいませんでした。
いたのは友好型1人(僕)、表出型2人、分析型1人。
 
だけど、時すでに遅し。
時間内に課題は終わらず。トホホ…。
 
 
名ばかり「ダイバーシティ」から卒業する。
 
ダイバーシティ多様性)とはメンバー間の衝突や葛藤(コンフリクト)が起きやすい。
ただし、適切な相互理解の上で建設的な対話のもと、目的達成へ進められれば成果は大きくなるのでは。
何より、一人で達成するよりも何倍もの充実感を得られるはず。
 
ダイバーシティとは多様な人がいればいいというわけではない。
そこにお互いへの理解と敬意が重要。
単に色んな考えや価値観の人がいてケンカばかりしている「名ばかりダイバーシティ」からの卒業を目指したい。
 
 
さてさて、いかがでしたでしょうか。
 
付け加えるとすれば、良いフレームだなーと思いつつ、一方で「あの人は何型だから…」という括りでラベリングしすぎることにも注意が必要ですね…。
(という、ナイスな指摘を後輩がしてくれました。)
 
だけど一番もったいないのは、「仕事のスタイル=その人の人格」のように捉えてしまい、「あの人は◯◯だから合わない。嫌いだ!!」と、その人自体が合わないと錯覚してしまうこと。
 
 
もし周りの人との関係性に悩んでいたら、一度考えてみてはいかがでしょうか。
あなたのソーシャルスタイルは何型ですか?
また、あなたの周りの人達のソーシャルスタイルは何型だと思いますか?
 
 
※ちなみにこの研修後、すぐに自分の周りの人たちを集めてアセスメントを見よう見まねで研修っぽく再現したら結構面白かったです。
チームメンバーで理解し合っているのって、重要かもしれない。
 

大人と子どもの境目とは。〜子どもの時の1年間って、もっと長かった気がしませんか?〜

どうも、僕です。

気づけば2015年も残り数日。

気づけば半年も更新をサボってしまった…。

 

あっという間の1年間。

そういえば、年々1年経つのが早くなっていませんか?

 

大人になるにつれて子どもの時よりも1年間が早く感じる、という経験は誰しもあるだろう。

 

中学3年生の時に、親戚のおばさんから「高校生の3年間はあっという間だよ」と言われたことを覚えている。

つい最近、とある人に「30代は、あっという間だよ」と言われた。

このペースでいけば50歳の僕の1年間は、光の速さで過ぎる可能性が高い。

 

しかしながら、「1年間」という時間自体は誰しも平等に割り振られているのに、なぜそう感じるのだろうか。

 

 

 

「未来予測ができるようになると、人は時間を早く感じる」と教えてくれたのは東大のとある先生だった。

わかりやすく話してくれた例としては、「初めて行く土地の往路は長く感じるけれど、帰りの復路は短く感じる。これと同じ原理」なのだそうだ。

 

続けてその先生は言った。

 

「でも、分かりすぎてもつまんねえよな」

 

道が間違っていないか何度も地図を確認するときのドキドキ。

目的地が近づいてきた時の高揚。

目的地に無事ついた時の安堵。

 

なるほどな、と思った。

結果が見えてしまう試合ほど、つまらないものはない。

 

 

子どもの時は、言わば「分からないことだらけ」の状態である。

「分からないこと」に出会う、未知の日々はドキドキするものだ。

緊張、驚き、期待、挫折、悲しみ、痛み、躓き。

常にそんな体験と隣合わせなのだ。

寄り道や道草、時に迷ったりするけれど、夢中に時間は過ぎていった。

 

きっと小学生の僕と、27歳の僕が1年間にする「初体験」の量を比べると、圧倒的に差があるはずだ。

「効率」や「生産性」なんて言葉とは無縁な、その毎日を何だか眩しく感じてしまうのは僕だけだろうか?

 

 

 

それでも悲しいかな、1年間はきっと年々早く過ぎていく。

 

大人になると、未知のものに「夢中」になることよりも、目に見えていることに「一生懸命」になることが増えていく。

 

だけど、その「一生懸命」には「意図」がある。

自分で自分を奮い立たせなくちゃいけないのだ。

だって一生懸命にならなくちゃ、毎日が年々つまらなくなってしまうから。

 

 

社畜」なんて言葉があるけれど、世の中にはなんだか楽しそう仕事をしているように見える大人たちが確かにいる。

 

「一生懸命」になってる時間と、「夢中」になっている時間。

この人達はきっと「夢中」の時間が人よりも少し多いのではないかと思う。

 

一生懸命と夢中、どちらが多い1年間だっただろうか。

この1年間で、初体験はどれくらいあっただろうか。

 

もしかすると人生を楽しみ続けるヒントは、見えないことを怖がらず、「初体験」に溢れた長い毎日を「夢中」で過ごすことなのかもしれない。

 

子どものままではいたくないし、だけどそこまで大人にもなりきれない僕は、だから、大人の「思考」と子どもの「感情」の、その交差点にいたいと思うのです。

裁判傍聴で出会った「心の棘」

どうも、僕です。

知り合いが裁判傍聴に行くらしいと聞いたので、学生の時に行った傍聴の思い出話を書きたいと思います。

 

 

 

▼フラリと訪ねてしまった霞ヶ関

 

学生の頃、裁判傍聴に通っていた時期があった。

大学の先生に勧められたのと、ちょうど裁判員裁判が開始される時期で、

ちょっとした「傍聴ブーム」だった時期だ。

 

「何か話題になってるし行ってみるか~」なんて、誠にアホな思考回路をした当時の僕は、大学の友達数人と初めて霞ヶ関駅に降り立ち、東京地裁を訪れた。

 

 

▼初めての裁判傍聴

 

初めての裁判傍聴。

 

覚えている限りでざっくり公判概要をお伝えすると、

タクシーの運転手であるAさんがスピードの出しすぎで玉突き事故が起こり、同僚であるBさんが亡くなってしまった。

たしかそんな感じだったはずだ。

 

問われていた罪は「業務上過失致死傷罪」。

 

 

「亡くなる直前、今度Bさんと誕生日(結婚記念日だったかな?)を祝おうと話をしていたけど、まさかその日が葬式になるなんて。

 でも、Aさんのことも知っているし、責めきれない。」

 

そんなBさんの奥さんの証言内容が印象的だったことを覚えている。

すごく胸がモヤモヤして、悲しくなった。

何だか、見てはいけないものを見た気になった。

 

 

他に傍聴したのは、薬物関係の公判だったと思う。

それを見て、僕らは地裁をあとにした。

 

 

▼社会の「登場人物」

 

それから数日後、友達と向かった先は、大学の図書館だった。

 

 

タクシーの玉突き事故なら新聞に載ってるかもしれない。

そう思ったからだ。

 

 

 

メモした事件の日付の新聞各紙を集めて、片っ端から目を通す。

 

 

でも、ない。

載っていないのだ。

 

ない。こっちもない。

ない、ない、ない…。

 

 

 

 

 

…あった!!

 

 

 

ただし、

ほんの数行だった。

 

 

載っていたのは、地方面に事故の概要のみ。

 

 

結局、その大手紙の地方面と、もう一紙に数行、狭苦しそうに掲載されているだけだった。

 

そんな、もんなのか。

僕が感じたモヤモヤや割り切れなさに触れているものは、社会的には「これだけ」。

 

 

 

そりゃたしかに、有名人が事故を起こしたわけでもない。

沢山の人が亡くなったわけでもない。

 

でも、そんなもんなのかよ。

 

あそこで、誰かが悲しんでいる。苦しい思いをしている。

事故の登場人物は、確かに被害者と加害者だ。

 

でも、本当は「登場人物」なんていう風に括れなくて、

家族はいるし、友達はいるし、恋人はいるし、そんな風に繋がりの中で生きている。

 

 

なのに、それでいいのかよ。

割り切れない。

全然、割り切れないよ。

 

 

▼地裁通いで気づいたこと

 

その後、導かれるかのように僕は月イチ程度のペースで地裁に通った。

 

 

その中であることに気づいた。

 

 

「薬物の公判の割合って、異常に多くないか?」

 

 

これは実は初回の時も感じたことだった。

 

いつ行っても、薬物の公判は行われている。

それもかなりの数、毎日行われている。

 

 

ある公判で裁判長が被告人に向けて言った。

 

 

「薬物は再犯率が高いことが特徴。

  強い意思を持ったって、すぐに折れてしまう。

 その中で君はどうするんだ?」

 

その被告人は、初犯ではなかった。

幼少期から父親から虐待を受けていたという家庭環境が情状酌量の材料として挙げられたが、初犯ではないので執行猶予はつかず、実刑

 

判決文が読み上げられた時、傍聴席にいた被告人のお姉さんは嗚咽をもらしていた。

 

 

 

僕は家のPCで「覚醒剤 公判 年間」と検索した。

 

色んな資料に目を通すうちに「約20,000件」という数字を見つけた。

 

※当時、ネットで調べたものなので正確かどうかは不明。

 

 

霞ヶ関では毎日、薬物の公判が行われている。

霞ヶ関だけじゃない。

きっと全国の地裁でも。

更に言えば、公判にすら至っていない人もいる。

 

その周りには、きっと悲しんでいる人がいる。

 

社会的にはきっと「登場」しないけれど。

 

 

▼なるべき姿を、固める

 

この頃から、僕は新聞記者なろうと固く決めた。

それも社会部に入って、事件や事故を追いかける記者になろうと。

 

そんでもって、単に概要を書くだけじゃなくて、丁寧にその周辺にいる人達に取材をして、

悲しんでいる人や苦しんでいる人にちゃんと社会の目が当たるようにして、

まだ社会に眠っている同じような人たちが隣にいたら協力してくれる人を少しでも増やせないか。

 

そんなことを思っていた。

 

だから、裁判傍聴以外にも、北朝鮮拉致被害者家族会のシンポジウムへ参加したり、

 被爆者の方と実際に話すために広島に行ったり、いくつかのことをした。

 

 

結局、行きたかった新聞社には残念ながら不合格を頂戴し、新聞記者にはなれなかった。

そこから紆余曲折があって、今はNPO職員として日々を過ごしている。

が、まあ、その辺はまた別のお話。

 

 

 

▼心の棘

 

今思うと、僕はあそこでいわゆる「社会課題」というものに触れていたんだと思う。

 

頭では理解していたはず。

でも、心では全然実感が伴っていなかった。

日常の中で意識することもなかった。

 

だって、テレビも新聞も学校も、そんなことは教えてくれないじゃない。

 

 

だから僕は明るく笑っている周りの友人にイライラしていた。

 

なぜ、知らないのか。なぜ、知ろうとしないのか。

(今思うと、なんて迷惑なやつなんだ…。)

 

そんな心の中にある割り切れなさやもやもや、チクチクとする感覚にあの頃出会っていたんだと思う。

 

 

▼関心の輪、影響の輪

 

有名な「7つの習慣」の中で、「関心の輪・影響の輪」というものがある。

 

【詳しくはコチラがわかりやすいです】

http://www.recruit-ms.co.jp/service/seven-habits/column/0000000009.html

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fb-3e/happyhills1970/folder/1289728/16/42727616/img_0

これは主体性を表現するときに使う概念だけど、あえてこれに当てはめてみると、

今思うに、新聞記者を目指していた僕は「社会課題というトピックを、まずは多くの人の関心の輪に入れる」ということをしたかったのかな。

 

 

 

現在NPO職員という仕事をしながら、僕の輪の中には日々現場から沢山のトピックが入ってくる。

その中には、まだ名前さえついてない課題も沢山ある。

 

今、まずは僕自身がそのトピックたちを影響の輪の中に入れて、現場で何か力になれるように日々を過ごしている。

批判者や傍観者にならず、当事者として在ること。

 

あたたかくて、優しくて、やわらかなおせっかいを、誰しも隣にいる人にできるようになったら。

 

そうしたら、きっと社会は変わる。

 

そう、本気で思っている。

 

映画『ソロモンの偽証』が投げかけているもの ※若干のネタバレあり

どうも、僕です。

こんにちは。

 

さて、少し前ですが『ソロモンの偽証』という映画を観に行ってきました。

 

www.youtube.com

 

 

原作は宮部みゆきさんで全6巻、映画では「前篇 事件」「後篇 裁判」の二部構成となっています。

 

原作は読んでないのですが、個人的に非常に良い映画だなと思ったので、感想とともに考察を書こうかなと思います。

 

ネタバレ含むので映画や原作をこれから見ようと思っている人は、これから先は読まない方が良いかと。笑

 

 

 

▼「ソロモン」は誰だ?

 

まず『ソロモンの偽証』というタイトルについて。

そもそも「ソロモンって誰だっけ?」という僕のような方のために下記ざっくり説明。

 

・聡明で有名な古代キリスト教の王様。悪霊を操ったという伝説もある。

・偉大な知恵者だったためソロモンに由来する偽文書が流布していたが、中世盛期以降には魔術師が悪霊を呼び出す術を記した新たな偽ソロモン文書が流布した。

 

とまあ、こんな感じです。

 

で、重要なのは「作中でのソロモンにあたる人物は誰だ?」ということ。

 

これはクリスマスの夜に死体で発見された【柏木くん】だと思います。

彼はそのミステリアスな言動、行動によって様々な登場人物の心をえぐります。

それも誰にでもある弱さを見透かし、「逃げるなよ」と言わんばかりに。

 

登場人物の中には彼の言葉が残り続け、そして彼の死や「偽告発文」騒動を発端にした学内裁判の中で何度もその弱さと向き合うことになるのです。

 

例えば、いじめを目撃しながら怖くて助けに入れなかった主人公の川野涼子のように。

歪んだ友情の末、高圧的に偽告発文に協力させ、

最終的に浅野松子が事故死する原因をつくってしまった三宅樹里のように。

 

このようにそれぞれのキャラクターの中にある、

いわば人間ならば誰にでもある弱さが、彼の存在によって浮き彫りになっていきます。

 

そしてその弱さは他者からは非常に見えにくいもので、

向き合おうとしなければ無意識のうちに捨てていってしまう感情です。

 

整理すると…

 

「ソロモン」=柏木くん

「悪霊」=それぞれの中にある弱さ

 

といった感じでしょうか。

 

映画のレビューを見ると彼に対して「あいつ、単なるイカれすぎのクズじゃね?」という批判もあるみたいですが、

それは奇抜な行動・言動の原因が描かれないためだと思います。

 

それを描いてしまうと、何だか人間くさくなり神的存在とは離れてしまうので、描けなかったのではという考察です。

 

 

▼主人公の回答から考察するメッセージとは?

「後篇 裁判」のラストで時系列が回想から現代へ戻り、

母校へ教師として赴任してきた主人公と校長先生の間で興味深いやりとりが2シーン行われます。

 

【その①】

校長「蓋をすれば見たいものだけが目に入る。思考停止でそれは楽。私はすっかりそうなってるわねえ。」

主人公「私も、そうなっちゃいました。」

 

 

【その②】

校長「その後、みんなはどうなったの?」

主人公「私たちは…、友達になりました。」

 

 

さあ、これをどう考察するか。

それぞれ次のように考えました。

 

 

その①「私もそうなっちゃいました」

=主人公自身も日常に埋没し、蓋をすることに慣れ始めた。

 またそのことを自覚している状態の暗示。

 

その②「私たちは、友達になりました」

=「普通」の中学生に戻ったということの暗示。

 

 

 

ひたすらに真実を知りたくて、

だからこそ周囲の反対があっても自分自身を貫き、

学内裁判をやりきった結果、真実に辿りついた主人公。

その主人公でさえも、日常を積み重ねていくと、

そんな煌きが埋没してしまうということ。

 

更に、それを自覚しているということは、

今も主人公は自分自身の弱さと闘いながら、

常に葛藤を持ち、揺れながら狭間を生きているということではないでしょうか。

 

 

▼誰に向けたメッセージ?

 

もちろん子どもに向けられているものでもありますが、

実はこのメッセージが一番響くのは日常に埋没し、

何だか浮かない顔をしてる大人なのではないでしょうか。

 

この映画では色んなタイプの大人(親)が描かれます。

そして、あれだけ強い主人公でさえも、悲しいかな、

大人になる過程で埋没していく可能性があるのです。

(ちなみにこの映画のキャッチコピーは「嘘つきは、大人のはじまり」…!)

 

 

だけどそれは逆説的に捉えれば、

「僕らはどちらにでもいける」という可能性を示しているのではないでしょうか。

 

別に特別に強い人間じゃなくたって、強くなることはできる。

立ち向かうべきは自分自身の弱さであり、

大切なのはそこに立ち向かうための勇気である。

それさえあれば、僕らは強くなれる。

 

だから、この映画は僕らに投げかけていると思うのです。

 

「今、あなたは、どっちいますか?日々、闘っていますか?」と。

 

 

「夢」と「希望」について僕が思うこと。

最近、とある講演でこんな風に自己紹介をした。
 
==============
僕の生まれ年は、1988年。
 
同い年の有名人は、サッカーだと香川真司、野球だと田中将大、体操だと内村航平、芸能人だと堀北真希と新垣祐衣。
 
生まれた直後にバブルがはじけ、
小学校に入ると阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起こり、
いつの間にか「ゆとり世代」と呼ばれ、
大学に進学すればリーマン・ショック
卒業寸前に東日本大震災が起きました。
 
そんな僕は、新卒でNPOに入り、4年目が終わろうとしています。
==============
 
 
先日、本屋である本を購入した。
タイトルにビビッときてつい買ってしまった、いわゆる完全な「タイトル買い」だ。
 
タイトルは、
『希望の地図 3.11から始まる物語』(重松清著・幻冬舎文庫)。
 
希望。
そう、希望なんだ。
 
今日、僕がここに書き残しておきたいのは「希望」についてだ。
 
 
 
「このうねりの源流は、何なのだろうか」
 
最近、特に中堅校前後の高校生に出会うと頻繁に思うことだ。
 
一見素直で真面目なのだ。
他人にも気を遣える。
もっと言えば、自分よりも誰かを優先している。
中には自分自身への関心を失くしている子もいる。
 
根底から聴こえてくるのは、
「失敗できない」
「どうせ無理なら流れに委ねた方が楽でしょ」
という心持ち。
 
 
いつからだろうか。
「夢」という言葉が、他人にも自分自身にも響かなくなったのは。
 
 
社会は変わる。
激しく、速く、曲がりくねって。
 
それは時に、目の前から色んなものを奪うかもしれない。
だから変わらないものから安心がほしい。
変わらないでいてほしい。
変わることが怖い。
だから、画一化して集団化する。
 
 
そんなことを、彼らからよく感じるのだ。
 
事実、マクロデータとして子ども・若者を「つながり依存」と表す調査もある。
 
 
僕自身、あの本のタイトルが『夢の地図』だったら買っていなかったな、と思うのはきっと気のせいではないはず。
 
 
 
本に話題を戻そう。
 
内容は著者が3.11後、東北を丹念に取材したものをドキュメントノベル式に書き進んだものだ。
 
その中で著者は自身が2011年の成人式の際に寄稿した、あるコラムを紹介する。
著者は1991年生まれの成人たちに、言葉を投げかける。
 
「『人事を尽くして天命を待つ』ーーその原動力を、僕は希望と呼びたいのだ。」
 
「希望とは目的地ではなく、歩くことそのものの中にあるのだ」
 
「ぼくらは、世界に対して無力さを感じることに負けてはいけない」
 
 
※全文『91年に生まれた君へ 逆境で気づく希望の器』
 
 
 
 
要するに、僕が彼らに感じてほしいのは「希望」なのだ。
 
生き抜く力とはきっと、「それでも」の力だ。
 
 
社会は変わる。
激しく、速く、曲がりくねって。
 
それは時に、目の前から色んなものを奪うかもしれない。
 
 
それでも、希望は、ある。
それでも、応えたいと、裏切れないと思える人が、いる。
それでも、どこかで諦め切れない自分が、いる。
 
 
少し止まってもいいから、少し道を外れてもいいから、前へ進むことを諦めないでほしい。
歩くことの中に、「希望」を見出してほしい。
 
夢を目指すのは怖いことだ。
叶わなかった瞬間、全てが途切れるから。
 
彼らに共有したいのは心のどこかで「それでも」と思える、そんな「希望」なのだ。
希望を信じて社会に身を置くことにチャレンジする勇気を僕は賞賛したい。
 
だから必要なのは夢の大切さや、努力や意思の大切さを語ることではない。
日々のどこかしらにある、希望のかけらを一緒に探すことなのだ。
 
 
 

ぼくのおとうさん。〜父なりの介護論〜

あけましておめでとうございます。

どうも、僕です。

 

年末年始はこれでもかとダラダラしつつ、昨日は帰省をしていました。

といっても、東京と横浜なので近いんですけどね…。

 

▼介護に人生を賭ける僕の父。

 

僕の父は介護職を仕事にしています。かれこれ15年以上でしょうか。

定年前までは有料老人ホームの施設長を務め、数年前に定年を迎えたものの、昨年からは中国で介護の講師とコンサルをし始めました。

今年は年間の大半を中国で過ごすとのこと。

相変わらずパワフルです。笑

 

そんな父から帰省する度に仕事の話を聴きます。

高校生の時なんかは「話長いなー」程度にしか思いませんでしたが、仕事をし始めた今聴くと中々に面白い。

 

▼父なりの「介護論」。

 

現場一筋で延々やってきた父には、父なりの「介護論」みたいなものがあります。

 

ざっくりまとめると、「お年寄りに対して一人の人間としての尊厳を持ちつつ、希望を感じられ、幸せに人生を全うできる居場所をつくる」のような感じでしょうか。

これがベースにあって、様々な介護の技術も初めて活かされるという考え方のようです。

 

例えばお年寄りの中には、顎や口内の筋肉が弱って食べ物を飲み込むことが難しくなる方も少なくありません。

さあ、あなたがその施設の栄養士ならどうしますか?

 

 

普通、栄養士さんは、白米をお粥にしたり、野菜は細かく刻んだりして飲み込みやすくする工夫を施します。

(そういう風に教科書にも書いてあるそうです。)

 

 

 

しかし父はきっぱりと「それは違う」と言います。

 

 

父曰く、「なぜ、まず本人に意思を聞かないのか?」。

お年寄り本人がそもそもそうやって食べたいのか、そうじゃないのか。

もしちゃんと白米を食べたいというのであれば、歌を歌ったり、声を出す体操をしたりすることで口内の筋肉を鍛えることで、食べれるようになることがあるのだそうです。

 

施設の中で生活する人にとって、食事はメリハリを生み出す重要な時間です。

その時間が「今日もご飯が美味しいな」と生きている実感を得られる時間になるのか、そうでないのか。

 

なのに、なぜアプローチしないのか。

 

それ以外にも食べ物を口に入れるスピードや声掛け、どちらの歯で噛むことが多いのか。

そういった細かい気配りがあるかないかで、大きく食事の時間に対する幸福感が変わるのだそうです。

 

父曰く「思い込みじゃなくて、思いやりだ」とのこと。

 

▼「我流だけど、優しい介護論」に詰め込まれたエッセンス。

 

認知症、身体の麻痺や筋力の低下による不自由など、施設には色んなお年寄りがいます。

それは本当に様々なんだと思います。

 

そして、その人達はこれまでの人生を通して得てきた「ラベル」を必ず持っています。

それは「母親」であったり「おじいちゃん」であったり。

 

そうじゃない、一人の人間として見るんだ。

父が言いたいのはそういうことです。

そこからじゃないと、何も始まらないということなんですね。

 

だから名前で呼ぶんだそうです。

「あなたを一個人として見ていますよ」ということの証として。

 

様々な状況、背景を持つ中、一人ひとりに対して誠実に接してきた父を、率直に改めてすごいなと思いました。

 

 

一番印象に残っているのはいつだか話していた、

「本当は『介護』じゃない。『介助』なんだよ。」という言葉。

 

介護を担う人は、お年寄りを「護る対象」ではなく、「気持よく人生を全うするための手助けをする人」として見るべきだ、というスタンスの表れなんだなあと今になって理解できます。

 

 

▼中国にいる父に負けていられない。

 

父は昨年末から中国に滞在し、今年も大半は中国にいる予定です。

中国には今どんどん老人ホームが建設されているそうです。

なんせ日本と規模が違います。

 

高齢者の人数規模が違うので、当然担い手を育てなくてはいけません。

父は、中国の介護事情を見て「やってみよう」と思ったようです。

ここから5年くらいは中国を拠点に、「本当の介護をできる担い手」を育てていくことに人生を賭けるようです。

 

改めて言いますが、既に定年退職しています。笑

今年で67歳です。

僕とちょうど40歳離れています。

パワフルすぎます。笑

 

正直、高校生くらいの時はなんでそんなに一生懸命やるのか、分かりませんでした。

いや、分かろうともしてませんでした。

だけど、今なら少し分かる気がします。

社会人になってから話を聴く度に、父親というより、仕事をする一人の社会人として興味を持ち始めています。

 

あの時は分からなかったけど、父の生き様から学んでいることは意外と多いみたいです。

 

 

5年後、父は72歳で、僕は32歳かー。

いやあ、負けたくねえなあ。笑

 

2015年、頑張らねばですね。

皆様、今年もよろしくお願いします。

 

 

早くオトナになりたかった10年前の自分へ。

どうも、僕です。
久しぶりの更新になってしまいました。
 
年末の更新のテーマは、「オトナと呼ばれる自分」についてです。
 
 
▼「オトナ」に慣れない僕。
 
最近結婚、出産をする人が周りに増えてきたのですが(おめでとうございます!)、
その度に「ああ、知らぬ間に自分はオトナになっているんだなあ」と実感します。
 
そして「でも全然オトナじゃないなあ、自分。」
という言葉が必ず続いて出てきます。
 
▼「10年前の自分」と「今の自分」を往復する。
 
ちょっと、下記の質問を考えてみてください。
 
Q1.「10年前の自分」は、当時「10年後の自分」に対してどんなイメージを描いていましたか?
 
Q2.10年前に描いた「10年後の自分」と「今の自分」にはギャップはありますか?
あるとすれば、それはどんなものですか?
 
Q3.「10年前の自分」は、「今の自分」を見てどんなことを思いますか?

 

 
 
ちなみにそれぞれの問いに僕が回答するとしたら下記のようになります。
※僕は現在26歳なので、16歳と26歳を基準に考えます。
 
A1:
26歳って完全にオトナだよなあ。どこで何をしてるんだろうか。
 
A2:
思っていたよりも全然ガキだ。笑
精神年齢、変わらんなー。
自分自身を「オトナ」と指すことに慣れない。
26歳になった今でも「オトナになったら…」ってたまに使ってしまう。
普通に見たら立派なオトナなのにね…。汗
いつになったら俺はオトナの仲間入りをするのだろうか?
 
A3:
思ってたよりもずっとずっとガキだけど、今(16歳当時)よりも、
ずっとずっと肩の力抜いて、自然体で生きてるなあ。
いいなあ。
 
 
同い年で社会人で働いている人たちと話すと、イマイチ話が噛み合わないなあと思う時があります。
 
例えば「何かを押し殺して社会の色に染まっていく様」が、ふとした時に何かオトナっぽく見えるんです。
 
そんな時に「あー、俺って周りに比べたら子どもっぽいんだな」と感じるわけで。
そして決まって、「俺、このままでいいのかな?」とちょっと焦ったり。
 
でも結局「今楽しいし、まあいっか!」ってなってます。笑
 
最終的に毎回そこに着地するのは、周りで活躍してる先輩方が無邪気に仕事を楽しんでいる姿を見てるからなんでしょうね。
それを見ては「うん、これで間違ってないな」と、無意識のうちに確認してるんだと思います。
 
 
これまでの人生で「子ども」と呼ばれ続けた僕は、
どうやらまだ「オトナ」と呼ばれることに慣れていないようです。
 
まだ抵抗感や違和感を感じるし、「自分って本当にオトナ?」と疑問もわいてきます。
 
「大人とは萎縮した子どもである」なんて名言を残した人もいます。
だから、このままでいいのかなあ。
 
「オトナ」って何なんでしょうか。
 
▼僕は「夢中」でありたい。
 
最近良く思うのは、「夢中でありたい」ということです。
 
「一生懸命」とか、「頑張る」とかじゃなくて「夢中」になること。
 
その対象が仕事でも、人生っていう大きなものでも何でもいいんだけど、
とにかく「夢中」になってる人は楽しそうに見えます。
もちろんその中にも大変なことや苦しいことはたくさんある。
でも、最終的には楽しんでる。
 
先述した無邪気に仕事をしてる先輩も「夢中」になってるんだと思うんですよね。
 
別に無理をすることもなく、自然とのめり込んでいる状態。
僕の中では、子どもが校庭で走り回ってる姿とイメージが近いんです。
 
「夢中」であるって、そもそも目指すものであるのかどうかも怪しい。
目指すということは、その状態を作り出そうとして意図すること。
 
「気づいたら夢中になっていた」
そんな過ごし方が、僕の理想です。
 
▼10年前の自分へ。
 
10年前の自分。
早くオトナになりたいと、ずっと思ってた自分へ。
 
残念ながら、あなたは10年経ってもオトナになり切れていません。
全く、子どもなままでごめんよ。
 
それどころか、それでいいかって、それがいいかとも思ってる自分が案外嫌いじゃなかったりもしています。
何なら、この感覚を忘れちゃいけないなって思ってる自分もいます。
 
そんな風に僕は歳をとっています。今のところ。