大人と子どもの境目とは。〜子どもの時の1年間って、もっと長かった気がしませんか?〜
どうも、僕です。
気づけば2015年も残り数日。
気づけば半年も更新をサボってしまった…。
あっという間の1年間。
そういえば、年々1年経つのが早くなっていませんか?
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大人になるにつれて子どもの時よりも1年間が早く感じる、という経験は誰しもあるだろう。
中学3年生の時に、親戚のおばさんから「高校生の3年間はあっという間だよ」と言われたことを覚えている。
つい最近、とある人に「30代は、あっという間だよ」と言われた。
このペースでいけば50歳の僕の1年間は、光の速さで過ぎる可能性が高い。
しかしながら、「1年間」という時間自体は誰しも平等に割り振られているのに、なぜそう感じるのだろうか。
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「未来予測ができるようになると、人は時間を早く感じる」と教えてくれたのは東大のとある先生だった。
わかりやすく話してくれた例としては、「初めて行く土地の往路は長く感じるけれど、帰りの復路は短く感じる。これと同じ原理」なのだそうだ。
続けてその先生は言った。
「でも、分かりすぎてもつまんねえよな」
道が間違っていないか何度も地図を確認するときのドキドキ。
目的地が近づいてきた時の高揚。
目的地に無事ついた時の安堵。
なるほどな、と思った。
結果が見えてしまう試合ほど、つまらないものはない。
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子どもの時は、言わば「分からないことだらけ」の状態である。
「分からないこと」に出会う、未知の日々はドキドキするものだ。
緊張、驚き、期待、挫折、悲しみ、痛み、躓き。
常にそんな体験と隣合わせなのだ。
寄り道や道草、時に迷ったりするけれど、夢中に時間は過ぎていった。
きっと小学生の僕と、27歳の僕が1年間にする「初体験」の量を比べると、圧倒的に差があるはずだ。
「効率」や「生産性」なんて言葉とは無縁な、その毎日を何だか眩しく感じてしまうのは僕だけだろうか?
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それでも悲しいかな、1年間はきっと年々早く過ぎていく。
大人になると、未知のものに「夢中」になることよりも、目に見えていることに「一生懸命」になることが増えていく。
だけど、その「一生懸命」には「意図」がある。
自分で自分を奮い立たせなくちゃいけないのだ。
だって一生懸命にならなくちゃ、毎日が年々つまらなくなってしまうから。
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「社畜」なんて言葉があるけれど、世の中にはなんだか楽しそう仕事をしているように見える大人たちが確かにいる。
「一生懸命」になってる時間と、「夢中」になっている時間。
この人達はきっと「夢中」の時間が人よりも少し多いのではないかと思う。
一生懸命と夢中、どちらが多い1年間だっただろうか。
この1年間で、初体験はどれくらいあっただろうか。
もしかすると人生を楽しみ続けるヒントは、見えないことを怖がらず、「初体験」に溢れた長い毎日を「夢中」で過ごすことなのかもしれない。
子どものままではいたくないし、だけどそこまで大人にもなりきれない僕は、だから、大人の「思考」と子どもの「感情」の、その交差点にいたいと思うのです。