新卒NPO職員のつぶやき。

学生時代に某塾からの内定を辞退し、教育系NPOに新卒入社。早4年目。日々駆け抜ける中での気づきを綴ります。

早くオトナになりたかった10年前の自分へ。

どうも、僕です。
久しぶりの更新になってしまいました。
 
年末の更新のテーマは、「オトナと呼ばれる自分」についてです。
 
 
▼「オトナ」に慣れない僕。
 
最近結婚、出産をする人が周りに増えてきたのですが(おめでとうございます!)、
その度に「ああ、知らぬ間に自分はオトナになっているんだなあ」と実感します。
 
そして「でも全然オトナじゃないなあ、自分。」
という言葉が必ず続いて出てきます。
 
▼「10年前の自分」と「今の自分」を往復する。
 
ちょっと、下記の質問を考えてみてください。
 
Q1.「10年前の自分」は、当時「10年後の自分」に対してどんなイメージを描いていましたか?
 
Q2.10年前に描いた「10年後の自分」と「今の自分」にはギャップはありますか?
あるとすれば、それはどんなものですか?
 
Q3.「10年前の自分」は、「今の自分」を見てどんなことを思いますか?

 

 
 
ちなみにそれぞれの問いに僕が回答するとしたら下記のようになります。
※僕は現在26歳なので、16歳と26歳を基準に考えます。
 
A1:
26歳って完全にオトナだよなあ。どこで何をしてるんだろうか。
 
A2:
思っていたよりも全然ガキだ。笑
精神年齢、変わらんなー。
自分自身を「オトナ」と指すことに慣れない。
26歳になった今でも「オトナになったら…」ってたまに使ってしまう。
普通に見たら立派なオトナなのにね…。汗
いつになったら俺はオトナの仲間入りをするのだろうか?
 
A3:
思ってたよりもずっとずっとガキだけど、今(16歳当時)よりも、
ずっとずっと肩の力抜いて、自然体で生きてるなあ。
いいなあ。
 
 
同い年で社会人で働いている人たちと話すと、イマイチ話が噛み合わないなあと思う時があります。
 
例えば「何かを押し殺して社会の色に染まっていく様」が、ふとした時に何かオトナっぽく見えるんです。
 
そんな時に「あー、俺って周りに比べたら子どもっぽいんだな」と感じるわけで。
そして決まって、「俺、このままでいいのかな?」とちょっと焦ったり。
 
でも結局「今楽しいし、まあいっか!」ってなってます。笑
 
最終的に毎回そこに着地するのは、周りで活躍してる先輩方が無邪気に仕事を楽しんでいる姿を見てるからなんでしょうね。
それを見ては「うん、これで間違ってないな」と、無意識のうちに確認してるんだと思います。
 
 
これまでの人生で「子ども」と呼ばれ続けた僕は、
どうやらまだ「オトナ」と呼ばれることに慣れていないようです。
 
まだ抵抗感や違和感を感じるし、「自分って本当にオトナ?」と疑問もわいてきます。
 
「大人とは萎縮した子どもである」なんて名言を残した人もいます。
だから、このままでいいのかなあ。
 
「オトナ」って何なんでしょうか。
 
▼僕は「夢中」でありたい。
 
最近良く思うのは、「夢中でありたい」ということです。
 
「一生懸命」とか、「頑張る」とかじゃなくて「夢中」になること。
 
その対象が仕事でも、人生っていう大きなものでも何でもいいんだけど、
とにかく「夢中」になってる人は楽しそうに見えます。
もちろんその中にも大変なことや苦しいことはたくさんある。
でも、最終的には楽しんでる。
 
先述した無邪気に仕事をしてる先輩も「夢中」になってるんだと思うんですよね。
 
別に無理をすることもなく、自然とのめり込んでいる状態。
僕の中では、子どもが校庭で走り回ってる姿とイメージが近いんです。
 
「夢中」であるって、そもそも目指すものであるのかどうかも怪しい。
目指すということは、その状態を作り出そうとして意図すること。
 
「気づいたら夢中になっていた」
そんな過ごし方が、僕の理想です。
 
▼10年前の自分へ。
 
10年前の自分。
早くオトナになりたいと、ずっと思ってた自分へ。
 
残念ながら、あなたは10年経ってもオトナになり切れていません。
全く、子どもなままでごめんよ。
 
それどころか、それでいいかって、それがいいかとも思ってる自分が案外嫌いじゃなかったりもしています。
何なら、この感覚を忘れちゃいけないなって思ってる自分もいます。
 
そんな風に僕は歳をとっています。今のところ。