ぼくのおとうさん。〜父なりの介護論〜
あけましておめでとうございます。
どうも、僕です。
年末年始はこれでもかとダラダラしつつ、昨日は帰省をしていました。
といっても、東京と横浜なので近いんですけどね…。
▼介護に人生を賭ける僕の父。
僕の父は介護職を仕事にしています。かれこれ15年以上でしょうか。
定年前までは有料老人ホームの施設長を務め、数年前に定年を迎えたものの、昨年からは中国で介護の講師とコンサルをし始めました。
今年は年間の大半を中国で過ごすとのこと。
相変わらずパワフルです。笑
そんな父から帰省する度に仕事の話を聴きます。
高校生の時なんかは「話長いなー」程度にしか思いませんでしたが、仕事をし始めた今聴くと中々に面白い。
▼父なりの「介護論」。
現場一筋で延々やってきた父には、父なりの「介護論」みたいなものがあります。
ざっくりまとめると、「お年寄りに対して一人の人間としての尊厳を持ちつつ、希望を感じられ、幸せに人生を全うできる居場所をつくる」のような感じでしょうか。
これがベースにあって、様々な介護の技術も初めて活かされるという考え方のようです。
例えばお年寄りの中には、顎や口内の筋肉が弱って食べ物を飲み込むことが難しくなる方も少なくありません。
さあ、あなたがその施設の栄養士ならどうしますか?
普通、栄養士さんは、白米をお粥にしたり、野菜は細かく刻んだりして飲み込みやすくする工夫を施します。
(そういう風に教科書にも書いてあるそうです。)
しかし父はきっぱりと「それは違う」と言います。
父曰く、「なぜ、まず本人に意思を聞かないのか?」。
お年寄り本人がそもそもそうやって食べたいのか、そうじゃないのか。
もしちゃんと白米を食べたいというのであれば、歌を歌ったり、声を出す体操をしたりすることで口内の筋肉を鍛えることで、食べれるようになることがあるのだそうです。
施設の中で生活する人にとって、食事はメリハリを生み出す重要な時間です。
その時間が「今日もご飯が美味しいな」と生きている実感を得られる時間になるのか、そうでないのか。
なのに、なぜアプローチしないのか。
それ以外にも食べ物を口に入れるスピードや声掛け、どちらの歯で噛むことが多いのか。
そういった細かい気配りがあるかないかで、大きく食事の時間に対する幸福感が変わるのだそうです。
父曰く「思い込みじゃなくて、思いやりだ」とのこと。
▼「我流だけど、優しい介護論」に詰め込まれたエッセンス。
認知症、身体の麻痺や筋力の低下による不自由など、施設には色んなお年寄りがいます。
それは本当に様々なんだと思います。
そして、その人達はこれまでの人生を通して得てきた「ラベル」を必ず持っています。
それは「母親」であったり「おじいちゃん」であったり。
そうじゃない、一人の人間として見るんだ。
父が言いたいのはそういうことです。
そこからじゃないと、何も始まらないということなんですね。
だから名前で呼ぶんだそうです。
「あなたを一個人として見ていますよ」ということの証として。
様々な状況、背景を持つ中、一人ひとりに対して誠実に接してきた父を、率直に改めてすごいなと思いました。
一番印象に残っているのはいつだか話していた、
「本当は『介護』じゃない。『介助』なんだよ。」という言葉。
介護を担う人は、お年寄りを「護る対象」ではなく、「気持よく人生を全うするための手助けをする人」として見るべきだ、というスタンスの表れなんだなあと今になって理解できます。
▼中国にいる父に負けていられない。
父は昨年末から中国に滞在し、今年も大半は中国にいる予定です。
中国には今どんどん老人ホームが建設されているそうです。
なんせ日本と規模が違います。
高齢者の人数規模が違うので、当然担い手を育てなくてはいけません。
父は、中国の介護事情を見て「やってみよう」と思ったようです。
ここから5年くらいは中国を拠点に、「本当の介護をできる担い手」を育てていくことに人生を賭けるようです。
改めて言いますが、既に定年退職しています。笑
今年で67歳です。
僕とちょうど40歳離れています。
パワフルすぎます。笑
正直、高校生くらいの時はなんでそんなに一生懸命やるのか、分かりませんでした。
いや、分かろうともしてませんでした。
だけど、今なら少し分かる気がします。
社会人になってから話を聴く度に、父親というより、仕事をする一人の社会人として興味を持ち始めています。
あの時は分からなかったけど、父の生き様から学んでいることは意外と多いみたいです。
5年後、父は72歳で、僕は32歳かー。
いやあ、負けたくねえなあ。笑
2015年、頑張らねばですね。
皆様、今年もよろしくお願いします。