新卒NPO職員のつぶやき。

学生時代に某塾からの内定を辞退し、教育系NPOに新卒入社。早4年目。日々駆け抜ける中での気づきを綴ります。

言葉の可能性を、それでも僕は信じたい

どうも、僕です。

久しぶりの更新となりました。
さて、今日のテーマは「言葉の可能性」です。

 

▼人前で話すことは、好きですか?

 

突然ですが、みなさんは人前で話すことは好きですか?
(ポイントは得意・苦手でなく、「好きかどうか」です。)

 

僕は好きです。

正確に言うと話すこと自体ではなく、言葉を通して聴いてる人から
何かこう場を支配するような「うねり」というか、
「波」のようなものが起きる瞬間が好きです。

 

僕は大学2年まで「日本語学」という分野を専攻していたことや、
就活時に新聞記者を目指し作文を毎日書いて時期を過ごしました。

 

だからか分からないけれど、仕事をし始めた今になって思うと、
他の人より言葉の取扱い方に敏感な気がしています。

 

どうしたら自分の気持ちが届き、伝わるのか。
そしてそこから変化の波が起こるのか。

そのための「語感」を探す行為が、たまらなく好きなのです。

 

ただ、一方で思うのです。

言葉の力には、限界があるとも。

 


政権交代が起きた時、僕の胸は高鳴った。

 

なぜそんなことを思い出したかというと、
ある小説を読んで「言葉の可能性」というワードが頭の中をぐるぐる駆け巡っているからです。

 

その小説とは『本日は、お日柄もよく (徳間文庫)』(原田マハ著)です。

 

本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

 

 

「スピーチライター」という日本にはあまり馴染みのない職業と「政権交代を起こす選挙」をテーマとした作品です。

 

2009年、僕がちょうど就職活動真っ盛りの大学3年の時に、

民主党が与党となり戦後初の政権交代が起きました。

当時僕は某民放テレビ局の選挙番組のアルバイトをしながら政権交代の瞬間を見届けました。

 

当時、すごく胸が高鳴ったのを覚えています。

別にどこの党に肩入れしてるわけでもないのですが、

「世の中が変わる波」のようなものに、確かに僕の心は高揚したのです。

 

と、まあ、こんな背景もあったせいか、当時のことを思い出しながら一気に読了。

気になる人はぜひ読んでみてくださいね。

 

▼100の言葉にも勝る場面が、人生にはきっとある。


とあるシーンを少しだけ紹介します。

主人公の新米スピーチライターが当選を目指す代議士候補でもあり、幼なじみでもあるパートナーが悲しみに暮れるシーンがあるのですが、そこで主人公は思うのです。

 

こんなとき、何を言ってあげたらいいんだろう。
何ひとつ、言葉が出てこない。
なんてちっぽけなんだろう、私。 

 

 

「言葉の可能性って、何なんだろう」

 

頭の中に浮かんだのは、そんな疑問でした。

 


僕は言葉を紡ぎ織る行為が、好きです。


言葉は人が無意識に持っている諸刃の剣だけど、
操り方によっては人を救うことができるし
変化を生むことだってできると割と本気で思っています。
人生は有限だし、言葉にしないと伝わらないことも多くある。

 

だけど、時にどうしようもなく言葉が出てこなくなる時があります。
100の言葉よりも、ただ隣にいて話を聴いてくれるだけで救われる場面があります。

僕のこの先の人生には、言葉だけじゃどうしようもない場面がきっと沢山やってくるのでしょう。


言葉の可能性をすごく信じていると同時に、そうでないことを理解している狭間に僕はいるのです。

 

一方で言葉の可能性を愚直に信じながら紡いでいくことと、
一方で言葉に固執しなように自問自答し続ける葛藤を今後も歩んでいくのでしょう。

 


どちらも捨てたくない。
それが本音です。

 

だから、どちらも信じたい。

だから、言葉の可能性を、それでも僕は信じたい。

 

そう思うのです。